『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』で岡村さんの発言が炎上しています。
私は岡村さんのオールナイトニッポンのヘビーリスナーです。
毎週楽しみにradikoのタイムフリーで聴いています。
今回はこの岡村さんの発言について、感じたことを書きます。
ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポンとは
少しこのラジオのご紹介です。
『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』は、ニッポン放送の深夜番組。毎週木曜日に放送されるラジオ番組。
1994年4月から約20年6か月放送され2014年9月に終了した『ナインティナインのオールナイトニッポン』を岡村が単独で引き継ぐ形で2014年10月2日から番組開始。
Wikipediaより引用
ナインティナインの2人から岡村さん単独でのパーソナリティを通算すると、25年以上も続けているラジオ番組です。
私は間が空いた時もありましたが、高校生の時から聴いています(現在44歳( ;∀;))
こんなにも長い間愛され続けたラジオ番組であり、私に取ってはテレビ番組を含め、声を出して笑うことができる数少ない番組です。
ラジオでの発言
詳細の内容はすみません、省きます。
radikoで聴きましたが、確かに発言自体はその通り言っています。
発言自体は良くないものですし、擁護できるものではありません。
ただ「そこまで責めないといけないのか!?」というのが正直な感想です。
この発言で特定の人物が著しく精神的苦痛を受けて、その人物が訴えてきている。
これならば、わかります。
この発言で番組のスポンサー企業が怒っている。
これもわかります。
お金を出してスポンサーをしているので「怒る権利」があります。
ただ今回はこの発言を文字にして、それを読んだ人が総攻撃のように怒っているのは、違和感を感じます。
「責任を取れ」という無責任な発言
某大学教授は「本人に責任を取らせるべき」とコメントしました。
ここで疑問です。
「責任を取る」とは具体的にどういうことでしょうか。
- 謝罪をするという責任の取り方
- 番組を降板するという責任の取り方
- 芸人を辞めるという責任の取り方
- 極端かもしれませんが、命をかける責任の取り方
どれであれば、批判した人は満足するのでしょうか。
例えば、相手が「命をかけて責任を取る」と捉えたら「責任を取れ」と言ったあなたは、どう責任を取りますか?
そういう人に限って、こう言います
- そこまでは求めていなかった。
- そんなつもりはなかった。
いじめをする人とパワハラをする人と同じ心理です。
そんなつもりがあろうとなかろうと、そんなことは関係ありません。
相手がどう受け止めたかが問題です。
「セクハラ」の定義もその言葉や行為が重要なのではなく、相手が不快に思ったら「セクハラ」ですよね。
心理福祉部の客員教授らしいですが、申し訳ないですが、言われた側の心理までがわからないのでしょうか。
それとも失礼な発言、誤った発言をした人の心理など考えなくてもいいということでしょうか。
「不快に思われた方申し訳ございません。発言を撤回してお詫び申し上げます」
このように謝罪をして「おしまい」では生ぬるいのでしょうか。
ニッポン放送の謝罪も「謝罪文が短い」と言ってみたり、、(長けりゃいいのかという話しです)
繰り返しになりますが、発言自体を擁護している訳ではありませんが、単純に「そこまで責めないといけないのか?」という疑問が残っています。
行き過ぎた正義論が暴走し始めると怖い
「正義」の定義は人によって異なります。
また「正義」という名の元であれば、何をしてもいいということはありません。
行き過ぎた正義論や正論をかざす人は恐ろしいところがあります。
「自分が正しい」と思い込んでいるので、何をしてくるかわかりません。
正義を振りかざすこと自体は別に問題ないですが、だからと言って「何を言ってもいい。何をしてもいい」というのとは違います。
あなたは聖人君子もしくは神なのか!?
これは嫌味です( ;∀;)
人を必要以上に責める人に対して「あなたはそれだけ言うんだから、さぞかし聖人君子や神様のように、一切の失敗もミスもしないんでしょうね!」と言いたくなります。
以前も書いたことがあるのですが、
- 完璧でない人ほど、相手に完璧を求めます。
- 完璧な人ほど、相手に完璧を求めません。
- なぜなら、完璧である難しさを知っているからです。
これは結構、的を得ていると思うのですが、どうでしょうか”(-“”-)”
まとめ
岡村さんのオールナイトニッポンが大好きなので、肩入れをした記事になりました。
でも「好き」って相手が過ちを犯しても許せたり、間違っても失敗しても見捨てないことだと思います。
好きなのはずっと好き。
何があっても好き。
(何回も過ちを犯したら、好きではなくなるかもですが、、)
何かあって「嫌いになった、幻滅した」という人は始めから、その人のことを好きではないのだと思います。
話しは変わりますが、、私は電気グルーヴのピエール瀧が薬物で逮捕されてもファンは辞めません。
私は電気グルーヴが好きです。 ピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕されてからの石野卓球の動きで、ますます好きになりました。2020年8月には新曲「Set you Free」をリリースして完全復活!&nb[…]
理由は好きだからです。
ファンだからです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
しつこいようですが、岡村さんの発言は間違ってはいますので、謝罪はするべきだと思います。
しかし、本件に限らず、特定の被害を受けた訳でもないのに、誤った発言や行動を異常なまでに責めたてるのは、やはりやり過ぎなのではないでしょうか。
「生ぬるいんだ!間違っているものには攻撃しろ!」と責めたてる人は、一体何を望んでいるのでしょうか。
人は間違えるもので、過ちを犯したり、失敗したり、ミスするものだと思います。
「間違っていることは正してもらう」ことはもちろん大切だという前提で、必要以上に責めたてずに寛容な気持ちで接することはできないのでしょうか。
ふと感じたままに記事にしましたが、何か「世知辛い、悲しい世の中」だなと感じました。
皆さんはどう思われたでしょうか?